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20歳の私が日本から海外へ移りたかった理由と、海外生活で気が付いた大事なこと

わたしが、海外を旅するのが好きだったり、海外に住む理由のひとつに、
「生まれ育った国とは違う国にいると、他人の目を気にするということが格段に減る気がするから」というのがあります。

 

18歳から20歳まで海外に住み、
日本に帰ってきたときにはなぜかめちゃくちゃ窮屈に感じてしまって「海外に戻る―――!」と、
これから日本で就職するもんだと思っていた母親と何度も喧嘩し泣かせました。
(いま思ったら、なにもおおごとじゃないし泣くほどのことじゃないのになぁ*)

そんな20代前半のとき、
自分がなんでこんなに日本じゃなく海外に出たいのか、その理由がわかりませんでした。

「なんで海外じゃないとあかんの?」と聞かれるたびに「理由なんていらんやん!好きやからやん!サッカー選手はサッカーが好きやからサッカーしてるんやん!」って、無茶苦茶な主張をし続けてました。(笑)

でもほんまに自分でもわからなかった。
海外に住んで何するの?と聞かれても、説得できるほどの理由がありませんでした。

 

でも30歳になるくらいのとき、気が付きました。

「日本がどうだから外に出たい」とかではなく、それが日本じゃなかったとしても
それぞれの国にはその国の「常識」や「当たり前」があって、

そこで生まれ育ったものとして、その常識や当たり前を守らないといけない。
というのが自然としみついてしまってるから、
なにか行動をするたびに他人の目が気になったりする。
(わたしはそうだった気がする)
(とくに日本は島国だから?)

でも母国の外に出ると、常識も当たり前も国によってさまざまだから「違って当たり前」というのがまず前提に思え

 

だからなにかに挑戦するときに躊躇うことが減ったし、間違ってしまうことを恐れないでいられる気がします。

好奇心が旺盛だった若いころの私にとっては、
それがちょっと開放的な気分になれて心地よかったんだな~と。

 

そして32歳になったいま、
たくさんの海外旅行や海外移住を経て、またさらに気が付いたことがあります。

それは、違って当たり前やからといって、なんでもOKかというとそうじゃなくって、
いい出会いを繰り返して、いい人付き合いをするために、

常識や当たり前が通じないからこそ
内面をもっともっと豊かにしていきたい、ということです。

違う国の人と人付き合いをするとき、
文化や常識が違うことで、それぞれがもつ、物事に対するモノサシも全然違うということを日々実感します。

だからその人の人となりを判断する材料が
もっともっと内面に向けられる気がします。

それに気づいてからは、わたしも人と接するとき、時間をかけてその人の内側を知りたいな~と、そんな風に思うようになりました。

どんな経験をしてきて、どんな風に物事を捉える人なのか、どんな優しい心がある人なのか…。短い時間じゃわかりません。

パッとその人がとった行動は
もしかしたらただの文化によって生まれた行動なのかもしれないし…

例えばすっごく単純な例になっちゃうけど中国の友達がゴミを道に捨ててしまうのもイタリアの友達がドアを開けてくれるのも
性格というのもあるかもしれないけど文化が影響している行動だとも思います。
だからその行動でその人柄をジャッジすることはできひんな~と…

海外にいると、そういう「自分にとって当たり前のこと」のモノサシは
あんまり役に立たないということに気が付きました。

なので…自分自身も然り。
「こうあるべき」という固定概念や外見や形にとらわれず、

もっと内に秘めているものを磨いていきたいな~と。思います。

 

っと思う反面「内面が豊かってなに?」
と、「豊かに歳をとっていくことについて」の疑問がまた湧いてくるんですが…😂

これはまた別のテーマですね~😂

だれかと語りたいな~…😂